やあ、地球の諸君、相変わらず、泣いたり、喜んだり、わめいたりしているのかね。

 でも、すべてが、地球も、大地も大海も、山の幸、海の幸、それからあんた自信も、宇宙管理者が創ってあんたにただで使わせているんだよ。忘れないでね。

 自然の恵みや、恩人に、感謝するのは結構だよ。しかしそれも皆管理者が造り出したもの。管理者に感謝するのを忘れないでね。

 感謝のしるしにあんたの持っているものをほんの僅か管理者に返してね。

 でないとあんたたちは進化しないよ。

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 やあ、地球の諸君、テロは困ったものだが、アメリカも困ったものだと、ぶつくさ呟いていないかね。

 君たちは宇宙の管理者のことを忘れている。宇宙の管理者はどう思っているか、少しは考えたまえ。

 管理者は地球に築いた橋頭堡を中心に考えている。それはイスラエルだが、もっと正確に言えばイスラエル性だ。

 なぜならそれこそ人間が未来の宇宙人に進化するためのチャンネルだからだ。

 この点から世界を見れば、今どうすべきか、それぞれの立場から分かると思うのだが。

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 やあ、地球の諸君、特に大陸の東、大海の西の島々の部族の人よ、見よ、マシュマロみたいに太ったおばさんが、バージニア・ウルフに関する博士論文に懸命だ。つぎはぎ作業に夜も昼も寸暇を惜しんでさ。なかなかOKもらえないらしいよ。

 どうしてウルフなんだろね。あ、そうか、豚だから狼が気になるのか。マア、自分の動機があるからまだましかもね。

 でも、なんて多くの若者がハカセ論文に夢中なんだ。それもこれもおマンマのため、素敵な地位のため。切り貼り細工に夢中だ。これが大和族では「研究」というものらしい。

 博士じゃない。バカセの氾濫だ。

 もっと利根川博士や中村博士を見習ったら?

 いや、いや、学閥、人罰、親分子分の杯固めで、大学教授になれるんだから、研究にうつつを抜かすよりも、親分のかばん持ちした方が早い?

 うーむ、利根川博士が大和の大学をバカにしきっているのむべなるかな。
 大和族はコピーに書けては世界一上手だ。これも教育のせい?それでいいのならそれでいいではないか。

 ただもう少し宇宙的スケールでものを見る人が欲しいな。そんな人も少数いるけどさ、外国にもてても、大和では無視されるからね。

 孤島の民よ、ユニバーサルに通用するものなり給え。

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 やあ、地球の諸君、特に、大陸の東、大海の西の島の人たち、族長がヤスクニジンシャに行くか行かないかでもめている?

 二次大戦はナンだったかでもめている?

 困った人たちだ。工人としては巧みな人たちだが。分からないかなあ。あれは宇宙管理者の処罰だったのだよ。何の処罰か、だって?人間を神としてあがめたことへの罰だ。

 君たちは、人間を神とした結果、幻想に囚われ、見れども見えず、聞けども聞こえず、の状態になり、後は狂気錯乱の世界にはまり込み、自らこの世の地獄以上の地獄をわが身に招いたのだ。

 しかし宇宙管理者は慈悲深い。君たちを寛大な占領軍に任せた。それも君たちの間に理性を失わず、宇宙の管理者を想う人がいたからだよ。

 まだ分からない?それじゃしかたないね。ヤスクニを君たちの愚行と暗愚の記念として大事に保存したまえ。

 やがてヤスクニを卒業するだろう。それまで取っておきな。最もそれまでに君たち部族は消えているかもしれないけれど。

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 やあ、地球の諸君、愛も変わらず、恋愛ゲームに熱中しているのかね。

 繁殖は生存の第1条件だから、仕方ないけどさ、愛とかいうインチキオブラートで包むのはいい加減やめたら?

 愛の満足を実感したことなんてないだろう。なにせ、君たちは服を着た猿程度のものだから。

 君たちのやってる繁殖方法は猿、犬、牛馬と変わりないジャン。

 本当の愛は宇宙の創造者、宇宙の管理者の間にしか生まれない。それも相手の顔は永久に人間には見えない。だがネシャマー的歓喜がある。

 だが心配するな。君たちは将来天使みたいな生物に進化する。いや、それ以上になる。そのときは繁殖方法も完全に変化する。

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 やあ、地球の諸君、相変わらず下らない事にうつつを抜かしているのかね。そう血眼になるなよ、どうせすべては去り行くもの。最後には太陽も地球も消え去るのだから。君の努力が何に結びつくのか少しは考えてみたら?

 ユダヤの賢者は言っている。
 一歳のとき人は天蓋つきの輿に座した王のように、皆に甘やかされキスされる。二歳、三歳になると豚のように食い物に手を突っ込む。一〇歳になると子山羊のように跳ね回る。二〇歳になると馬みたいにいななき、自分の肉体にうっとりし、妻を求める。結婚するとロバみたいに生活のためにがむしゃらに働く。子供ができると犬のように厚かましく食べ物と生活必需品ををあさりまわる。老人になると猿のように腰が曲がり人間の外観がなくなり感覚もなくなる。
 こんな人生に意味があるのかね?

 しかしヘブライ聖書の子、ヘブライ聖書を良く学んだ者には「ダビデ王は今や老いた](列王記上一・一)とある。すなわち彼は「老いた」が、「王」である。

空の空 AT

2006年7月28日
 ラビ・サムエル・ベン・イサクはラビ・サムエル・ベン・エレアザルの名において教えた。コヘレトが述べた七つの「空」は人間が目にする七つの世界[段階]に相当する。一歳のとき人は天蓋つきの輿に座した王のように、皆に甘やかされキスされる。二歳、三歳になると彼は豚のように食い物樋に手を突っ込む。一〇歳になると子山羊のように跳ね回る。二〇歳になると彼は馬みたいにいななき、自分の肉体にうっとりし、妻を求める。結婚するとロバみたいだ。[生活のために懸命に働く]。子供ができると犬のようになり、厚かましくがつがつ食べ物と生活必需品をを求める。老人になると猿のように腰が曲がる。[人間の外観がなくなり感覚もなくなる]。以上のことは無知な者に当てはまる。しかしトーラの子、トーラを良く学んだ者には「さてダビデ王は今や老いた](列王記上一・一)とある。すなわち彼は「老いて」いたが、いぜんとして「王」であった。
 ラビ・ユダ・ベン・R・シモンは言った。コーヘレトの言う七つの「空」は天地創造の七日に相応する。最初の日「はじめに『神』は天と地を創った」(創一・一)とあるが「まことに天は煙のように散り失せ、地も衣のように古びて」(イザヤ五一・六)とある。二日目「蒼穹あれ」(創一・六)とあるが「天は巻物のように巻かれる」(イザヤ三四・四)とある。三日目「天の下の水は一箇所に集まれ」(創一・九)とあるが「永遠なる主はエジプトの海の舌を干上がらせ」(イザヤ一一・十五)とある。四日目「天の蒼穹に輝くものあれ」(創一・一四)とあるが「月は恥をかき、太陽は辱められる」(イザヤ二四・二三)とある。五日目「水は群がる生き物でうごめくように」(創一・二〇)とあるが「私は空の鳥も海の魚も取り除く」(ゼファニア一・三)とある。六日目「『神』は言った、われらの像(かたち)に人を造ろう」(創一・二六)とあるが「わたしは人を地の面から断つ」(ゼファニア同前)とある。安息日に関しては何と言えようか?[安息日はその中に「空」のない聖なる設定ではないか?]。「それを冒涜する者は必ず死ななければならない」(出三一・一四)とあるではないか。[安息日は死の原因となりうる。ゆえにその中に[空]がある]。[死は]それを故意に冒涜した者に適用され、故意の冒涜でないときは捧げものをもたらして償いを得ることができる。[すなわち安息日は事実上その中に[空]のないものであり、人間への祝福である]。ラビ・ベレキアは言った。アダムが安息日の卓越性、すなわち[故意でない冒涜に対して]捧げものをもたらし償いを得る、と知ったとき、彼はほむべき聖なる方に向かって、それに関する詩篇を歌い、褒め称えた。それで「詩篇。安息日のための歌」(詩篇九二・一)とある。ラビ・レビは言った。アダムがその詩篇を作成した。

 トマス・ノアは言った。「日の下」の労苦はすべて空しい。「日」が消える日、すなわち太陽も地球も消える日、「日の下」も消える。空しさも消える。トーラを具現した新生物が出現する。
 あなたの国は原爆を落とされた。それは『神』の計らいだったと知るがよい。しかしその究極の原因も追求しないまま、平和平和、とお経を唱え、核反体核反対と叫びながら、アメリカの核に守られてぼけーとしている。

 知るがよい。地球の終りまで平和を維持できたとしても、結局は太陽という巨大核融合炉が地球全体を吹き飛ばし焼き尽くすことを。それは広島の何億何兆倍の規模の災害だ。そして日本人はそのフィナーレの一端を前もって知る恵みをえたのだ。それが『神』の愛でなくてなんだろう。しかし日本人は分からない。そんな愛ならいらない、そんな神様はいらない、と言うだろう。しかし日本人がどう言おうと愛は存在し、

『神』は永遠である。存在はすべて『神』の愛である。愛は永遠の知恵である。ちりあくたの一粒から雄大な銀河まで、すべて『神』の知恵から造り出されたのだ。
  
宇宙の統治者よ!
 私たちは自分の義に頼ってお願いするのではありません。あなたの無限の慈悲ゆえにお願いするのです。
 私たちは何ものでしょう?私たちの愛が何でしょう?私たちの義が何でしょう?私たちの人助けが何でしょう?私たちの力や権力が何でしょう?
 永遠よ、われらの『神』よ、われらの父祖たちの『神』よ、あなたの前で私たちは何と言いましょうか。あなたの前では英雄も無ではありませんか、有名人も存在しなかったかのよう、賢者も知識を欠き、知恵の人も何も理解できないかのようです。あなたの前では、彼らの何万もの業績も単なる虚ろ、彼らの生涯はかき消える息の一吹きに過ぎません。人間が獣に勝るというのもどうでもよいこと。
 なぜなら、すべては空だからです。

 しかし私たちはあなたの民、あなたと契約を交わした民です…

     『祈祷書』(イスラエル:シナイ出版)[ヘブライ語英語対訳]
  『創造主』は天地想像のときに―ビッグバンの瞬間に―自然界の法則も想像しました。そして『創造主』自身もこの法則によって万能の力を制限されると考えられます。
 『神』が法則を捻じ曲げ―もしくは人間には未知な法則を使って―介入したのは、生命の創造、アダムの創造のみといわれます。本当の意味の奇跡はこの三つ、天地想像、生命の創造、アダムの創造というわけです。

 福音書の神話的要素の最も重要なものは神聖受胎と復活でしょうが、神聖受胎は『神』が自然法則を捻じ曲げて介入した、新しい奇跡なのでしょうか。
 神聖受胎についての唯一の証言である福音書を読んでみましょう。
 福音書もイエスの語り口もユダヤ的です。その観点から見ると興味深いヒントがあります。
 マタイは「彼女(マリア)は聖霊によって身重になっていることが分かった」(一・一八)と述べ、ルカは「聖霊があなたの上にやって来て、いと高き者の力があなたを覆うであろう」(一・三五)とあります。
 どちらも『神』もしくは天使が彼女と交わったと書いていません。聖霊の力によって身ごもる、とあるだけです。
 これは彼女が男と交わった可能性を排除するものではありません。すなわち彼女が男と交わらなかったとは言っていないのです。
 マリアは「どうしてそのようなことがあり得ましょうか。私は男の人を知りませんのに」(ルカ一・三四)と言っています。彼女は告知のときは男を知らなかったが、その後男と出会い、告知ゆえに彼を受け入れた、と考えられます。
 この語り口はいたってユダヤ的です。彼女はある男と交わったが、身ごもったのは聖霊の力だ、というわけで、これは現代の医学でも通用する事実です。
 『神』はアダム(『神』が息を吹き込んだ最初の人間)を二つに割り男と女に造ると、その後の子作りは、男、女、シェキナ(『神』の臨在)の三者で行われるようになりました。
 すなわち不思議な力が加わらないかぎり、子供は生まれないのです。
 現代医学も解明できないある要素が出産には必要なので、これは人類全体が直感的に体験しています。日本人も「子を授かる」「子を恵まれる」と言っているではありませんか。
 マリアが不倫を犯したということは受け入れがたいかもしれませんが、人間レベルから見れば背徳行為と思えても、『神』の宇宙計画に組み入れられたならば、「不倫」は「有倫」となるでしょう。
 ダビデの後を継いだ者は、彼の不倫の相手バテシバの産んだソロモンだったではありませんか。

 ルネッサンス以降、キリスト教は衰退の道をたどっています。それは科学の成果を取り入れた新しい神学を作れないからでしょう。そのためにも福音書の神話的個所を解釈しなおす必要があると思います。古代中世の人をひきつけた個所が今の若者の優れたブレインを遠ざけています。そして彼らは奇妙な新興宗教に走ります。
 これは二十世紀前半にティヤール・ド・シャルダンがすでに警告していたことですが、二十世紀後半からティヤールの時代よりもさらに科学は飛躍的に進歩しました。そこには宗教と合致できる可能性も見え始めています。今後の時代の大きな問題となるでしょうし問題とすべきです。

    アダムは不死ではなかった
                       
 聖書を読むと、アダムは、『神』の言葉を守らなかったがゆえに死ぬようになった、とは書いていないようです。
 『神』が言ったのは「善悪を知る木、これから取って食べてはならない。これから取って食べる日、あなたは必ず死ぬであろう」(創二・一七)であり、「その日(すぐに)、死ぬ」であり、さらに彼をエデンの園から追放する際に「みよ、人はわれらの一人のように、善悪を知るようになった。いまにも彼は手をのばし、生命の木からも取って食べ、永遠に生きることになるかもしれない」(創三・二二)と言います。
「生命の木からも取って食べ、永遠に生きることになる」のですから、生命の木の実を食べない限り永遠の生命を持たないことになります。そしてアダムはそれを食べていなかったことが『神』の言葉から分かります。すなわち彼は最初から死すべきものとして創られたのです。
 そうなると、アダムの罪ゆえに死が人類に入りこみ、イエスがそれを元に戻した、という原罪と救済の構図は成り立ちません。

 なぜこのような聖書に反する解釈が生じたのでしょうか。一人のユダヤ人を『神』として礼拝し、三位一体の理論を構築しなければならなかった無理が生んだのではないでしょうか。その背後にはイエスをユダヤから切り離そうとする意図が働いていたのではないでしょうか。福音書はやはり最大の反ユダヤ文書かもしれません。これを正した新しい神学が必要だと思います。

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K 天地創造、生命の出現、アダムの創造、は主の直接介入があったとされますが、神聖受胎もそうだといえませんか。

A 福音書もイエスの語り口もユダヤ的です。その観点から見ると興味深いヒントがあります。マタイは「彼女(マリア)は聖霊によって身重になっていることが分かった」(一・一八)と述べ、ルカは「聖霊があなたの上にやって来て、いと高き者の力があなたを覆うであろう」(一・三五)とあります。
 どちらも『神』もしくは天使が彼女と直接交わったと書いていません。聖霊の力によって身ごもる、とあるだけです。これは彼女が男と交わった可能性を排除するものではありません。この語り口はいたってユダヤ的です。彼女はある男と交わったが、身ごもったのは聖霊の力だ、というわけで、これは現代の医学でも通用する事実です。
 『神』はアダム(『神』が息を吹き込んだ最初の人間)を二つに割り男と女に造ると、その後の子作りは、男、おんな、シェキナ(『神』の臨在)の三者で行われるようになりました。すなわち現代医学も十分に解明できないある不思議な力が加わらないと子は生まれないのです。これは人類全体が直感的に体験しています。日本人も「子を授かる」「子を恵まれる」と言っているではありませんか。

K 神秘的な力が背後で動いている。これは納得できますね。しかしマリアが不倫を働いた、とは受け入れがたいですね。

A 人間レベルから見れば背徳行為と思えても、『神』の宇宙計画に組み入れられたならば、「不倫」は「有倫」となるでしょう。ダビデの後を継いだ者は、彼の不倫の相手バテシバの産んだソロモンだったではありませんか。
『神』『永遠』はアダムに命じて言った。「園のすべての木からお前は大いに食べてよい。しかし善悪の知識の木から、それから食べるな。なぜならお前がそれから食べる日にお前は必ず死ぬ」(二・一六―一七)。

 アダムは善悪の知識の木から食べ、九百三十年生きた。しかし『神』の目に千年は一日のごとしと言うから、その日に死んだことになる。

 神『永遠』は言う。「見よ、アダムは我らの一人のように、善悪を知るようになった。今にも彼は手をのばし、生命の木からも取って食べ、『永遠』に生きることになるかもしれない」。(三・二二)

 この言葉から見ると、アダムは最初から永遠ではなかった。善悪の知識もなく、永遠に生きることもなかった。

 彼の背反によって死が人類に入り込んだというのは聖書の記述に反する。彼は神の息を吹きこまれた最初の人間であり、エデンの園に置かれたが、彼の背反を機にそこから追い出された、と言う事実があるだけである。それも『神』の計画の一つとして予定されていたことであろう。

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 天使Sは言った。
「万軍の主であり、宇宙の至高の統治者であるEよ、ご報告したいことがございます。この地域には十五歳の少年がいます。彼は本土決戦となれば、機関銃で学友を皆殺しにし、一緒に配属将校、体育教師、などすべての教員も皆殺しにして、それから米軍のシャーマン戦車に立ち向かうつもりでいます」
 宇宙の統治者Eは言った。
「面白い。その少年を地球からとりあげるのは少し伸ばそう」
 天使Sは言った。
「米軍は、原爆投下はレーダーに頼らず目で確かめて投下するよう命令を出しています。小倉上空に雲を集めれば彼らは第二目標を選ぶでしょう」
 Eは言った。
「それはどこか」
「長崎です」
「よろしい。長崎に落とすようにしよう」
「長崎にはカトリック信者がいます。彼らはあなたをたたえて祈っていますが」
「彼らはわたしを知っているだろうか。わたしに従っているだろうか。神父に従い、人間を気にしているだけではないか。彼らは我が契約の民を殺した偶像崇拝者ではないか。彼らの教会は偶像に満ち、寺や神社と変わらない。滅び行くものにひざまずいているではないか。わたしが一人のユダヤ人を遣わした計画は大筋で成功したが、彼らは傲慢になり、行きすぎたのだ。微調整が必要だ」
 天使たちは北九州上空に雲を集めた。
 少年Nは友達と空を見上げていた。
「新型爆弾は落下傘をつけて降りてくるちゅうけ、見ようや」
 ラジオは「敵一目標小倉上空にあり」と告げていた。
 雲の上はるか、もうおなじみになっていたB二九の密やかな爆音のハミングが、聞こえた。しかし爆弾は来ない。
 家の中からラジオが「敵一目標は長崎方面に向かいつつあり。新型爆弾搭載の可能性ああり。厳重に警戒せよ」と告げていた。
「ふーん。こちらは素通りか」
 ラジオが言った。
「ただいま新型爆弾長崎に投下…」
 長崎はソドムのように燃えた。
「主よ、主よ、憐れみ給え…」
「主よ、主よ、なぜ…」
 Eは答えた。
「わたしが決めたことである」

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K 復活は唯物論的に証明できる。人間は、万物と同じく、粒子―それが素粒子、あるいは最近の仮説の「ひも」であろうと―で出来ている。人間は死ねば「塵に戻る」すなわち粒子に戻る。万物と同態になるわけだ。しかし時間は無限であるから、その粒子がまたおなあじものを造る可能性は常に存在する。

A その理論には一つ難点がある。時間は無限ではない可能性が大きい。宇宙形成に関する今の標準理論であるビッグバンによれば、時間はビッグバンと共に現れた。宇宙が終われば時間も消える。現に光の速度においては時間は消滅する。光は無時間=永遠の世界に存在する。時間は有限と考えた方がよい。

K では復活はないのか。

A トーラには復活が存在すると書かれていない。タルムードにおいては復活論を唱える賢者はいる。またイエスの復活物語は異教徒用神話と思われる。
 宇宙元素に戻るのが復活といえよう。それが本来の姿で、人間がこのような型を維持しているのが例外的だといえる。
「塵に戻る」とは本来の姿に戻る、もしくは『神』の一部になる、ということかもしれない。

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K クリスチャンは本当は復活を信じていない。それは私は証明しよう。
 もし復活し最後の審判でより分けられるとすれば、殺されても、焼かれてもいいではないか。そうすれば、警察も、消防署も、軍隊も、要らないはずだ。ところがキリスト教国家はこのようなものがすべて優れている。関心も高い。復活も最後の審判も信じていない証拠ではないか。

A そのとおりだ。彼らは無意識に、『神』が全人類に与えたノアの七つの掟に従っている。その掟にはそれぞれの国の法律を守れ、もしくは、法と法廷を設立せよ、とある。すなわち悪は本質的にこの世に組み込まれているから、それに対応する必要があるという訳だ。これはタルムードに記されている。

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 日本的「和」は日本独特で、子の精神で世界平和を達成できると思っている日本人が多いが、この「和」も『創造主』が、代替品として、島国に与えたものだ。。

 「和」は素晴らしいが、この点を忘れると傲慢になり悲劇を生む。
 「和」は「環」に通じることを忘れては行けない。「環」は締め付け、異端を許さない。偏狭で、残酷だ。

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 また奇怪な事件が起きた。
 しかしタナハ=旧約聖書を読むと、このように異常ですさまじい事件がいつも起こっていたことが分かる。

 しかも、これが『神』の創造した世界だから、驚くことはない。

 『神』は六日目に完成した世界を見て「とてもよい」と言った。「とてもよい」は「悪が組み込まれているのがよい」という解釈がある。これに似た解釈は多い。

 「神の世界」はパラダイス(楽園)ではない。この宇宙万物、我々が今いるすべてが『神』の世界なのだ。幻想を抱いてはいけない。そうすれば道は見えてくる。

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 日本マンガは世界的だ。それはお目出度い話だが裏を返すとあまり喜べないかも。

 森有正(ソルボンヌ教授)は日本語は言語として完成していない、と言っている。

 「彼は今到着しました」とは日本語では言わない。「山田さんが到着しました」「社長さんのご到着です」と言う。山田、社長、八百屋さん、などを第三者として抽出して誰でも、神様でも、heで指す言葉がない。現実が言語にはまりこんできている。

 これは特色だが、それを日本語の美点というのは、無知に他ならない。

 この結果、日本語は話し言葉としては面白いが、書き言葉としては非常に幼稚で、書きづらく、読みにくく、分かりにくい。

 源氏物語やつれずれ草など、基本的には随想、短歌、俳句、だ。そういうものもすぐに絵解きが出る。

 欧米では重厚な歴史書や、科学書や、長編小説がベストセラーになるが、日本では新書版くらいの分量の、随筆や、短編的小説でないと売れない。

 複雑な論理や、巨大な構想は苦手だ。その原因は一つに言語にある。言語はその国の文化の所産だが、一度できあがると逆にその文化を縛る。

 ハリー・ポッターや、ヒストリアンや、ダビンチ・コードは日本ではマンガとして出ただろう。

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 永田議員が自民党のスパイを演じたとしたら、日本人もここまで成長したかと思うのだが…

 やはりただのアホ。『神』がこのアホを使って本当の野党を育てるつもりかもしれない。そして本当の2大政党を作る。なぜなら『神』は一つを嫌うからだ。

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『永遠』の命令に従って国を離れたアブラハムゆえにロトが滅びるのは許せなかった。それで『永遠』はロトを救った。

 ロトはツォアルに住むのを恐れ、山で二人の娘と暮らした。

 ツォアルは対象に定められていたが、ロトが山まで逃げる時間がないと訴えたので、天使は破壊しなかった。しかし余裕ができたのでツォアルも破壊されるとロトは思った。

 娘も父がツォアルを出ると、ツォアルは破壊されると思った。
 それで「この地に男はいない」と言った。

 姉は妹に言った。
「父は老いています。地のしきたりに従って私たちに来る男はこの地にいません。父にぶどう酒を飲ませ、父と寝て父の種を生かしましょう」

 彼女たちはその夜、父にぶどう酒を飲ませ、姉が父と寝た。彼は彼女が来たことは知らなかったが、彼女が去るときは気づいていた。

 翌日は妹が姉と同じことをした。彼は彼女が寝たことも起きたときも知らないふりをしていた。

 二人は妊娠し、男子を生んだ。姉は彼を「モアブ(父から)」と名づけた。彼はモアブ人の先祖である。妹は「ベン・アミ(私の民・親族)」と名づけた。彼はアンモン人の先祖である。

 姉は父との間にできた子であることを隠そうとしなかった。妹は婉曲に表現した。

 近親相姦は蜜の味である。血縁の間の性交は心情の細かいひだまで分かるし、肉体的にも同じ感覚を持つので、一度味わうと永遠の天国のように思われ、抜け出せない。そして腐敗へ転落する。

 聖書がくり返し近親相姦を禁じているのもこの理由からである。

「男は父と母を離れ妻と結び合い、一つの肉になる」(二・二四)とあるのも近親相姦への戒めを含んでいる。

 この近親相姦には別の解釈もある。

 彼女たちは言った。
「私たちはできる限りのことをしましょう。そして『神』の慈悲によって、男子と女子を生み、彼らから世界は支えられるでしょう。『世界は優しさで造られる』(詩篇八九・三〇)とあるように。そうなれば『神』が私たちを救ったのも無駄ではなかったことになります」

 彼女たちはつつましい女だった。それで父に結婚してくれと言えなかった。しかしこのことはネシャマーの強い人たちにはおぞましく思えた。それでラビたちはロトを不信の目で見ている。

 またロトは娘が彼と交わるのを知らぬふりをしていたのでは、という疑いも拭い切れない。泥酔のふりをしてひそかに蜜の味を楽しんでいたかもしれない。

 

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