「コラテラル」。文句なしの傑作。
 トム・クルーズもジャニー・フォクスもすばらしい。
 監督マイケル・マンはアクションものを得意とする人だが、これはさらに哲学的な深さと陰影が加わった。

 殺しの請負人、トム・クルーズはタクシー運転手のフォクスに言う。
 「10億、20億の星にいる埃が一つ消えた。それが何だ」
 この虚無、存在の無意味さ、何のために存在か。すべては消え、忘却の暗黒に飲み込まれるのではないか?

 この透明な透徹した哲学にあなたは答えられますか?人はそんなものじゃないて?じゃ、どんなもの?うすぺらな演歌的情の世界は埃のように飛散し跡形もなくなる。
 この哲学を打ち破るのは不可能に近い…否、不可能だ。

 トム・クルーズは自分の哲学について多く語らず、無言のまま、必要なこと以外は口を開かず、仕事の完遂に徹していく。
 ロスアンジェルス、1,400万、福岡県の面積に近いこの巨大都市の、美しさ、エネルギー、暗黒、虚無、孤独、が芸術的に美しい。

 トム・クルーズの冷たく引き締まった透明な美しい繊細な彫りの深い顔が、しびれるように、カッコイイ。
 名優だな、と思わせる。これを彼の代表作としてもいいかも。
 これは「セヴン」のようなフィルム・ノワール(黒い映画)、とニューズウイークは言う。最後の個所はハリウッド的臭いが顔を出すが、全体として見ればそんな僅かな瑕は覆い隠す出来映えだ。

 ラストシーンの地下鉄の座席にうつむいて動かないトム・クルーズの死体は脳裏に焼き付く、象徴的な絵だ。まさに広大な宇宙の中の無意味な埃の一つのように、地球の片隅に一人ぼっちで。

 コラテラルは「巻き添え」と意訳されているが、本来の意味は「傍系・傍に付いていく線・側系列」である。
 作者は彼の哲学を論破できない限り、誰でもコラテラル、だよ、と言っているようだ。

 彼の理論を破るためには、理性を跳び超えた宗教的なものが必要だが、どんなものを持ってきても、それは幻想じゃないか、と言われておしまいだろう。

 だからこそシュローダー博士のように、科学と宗教の相互補完作業が必要なのだ。科学は事実を確認認識し、宗教は存在の意味を語る。この相互補完作業が可能なのはヘブライ聖書(いわゆる旧約)と科学の間においてであろう。

  http://www.neshama.info/ (ネシャマー王国)
  http://www.geraldschroeder.com/ (シュローダー博士のHP)
 

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