「宇宙戦争」はスピルバーグの最高傑作として記憶されるだろう。彼の宇宙ものは『未知との遭遇』『ET』に継ぐものだが、ウェルズの作品を見事に現代化した傑作。
 『未知との遭遇』が聖書を下敷きにした場面が随所にあり、またテーマも思想も聖書を土台にしていることを見ぬいた日本人はほとんどいない。欧米人ならすぐに理解しただろうが。
 『宇宙戦争』も基本思想は聖書である。
 もし数万光年を飛来する高等な宇宙人がいれば、人間が逆立ちしても、かなわない。いかなる武器も通用しない。抹殺されるだけ。
 しかし彼らも見落とした盲点があった。地球のすべての生命体は最も原初的なバクテリアと共生してきた。基礎の細胞構造は万物同じ一つである。
 地球は、バクテリアから人間に至るまでの生命形態のために特別にしつらえられた惑星だ。地球と人間の出現はビッグバンの前にすでにセットされていたのだ。
 宇宙の至高の統治者=宇宙外生命=『神』、は複雑緻密な宇宙の布を織り成し、この地球を人間を頂点とする被造物に与えた。それは『神』が設定した宇宙の秩序によって支えられている。秩序(order)は命令であり、掟である。『神』が与えたこの地球を羨んで自分のものにしようとして暴力を振るうのは、宇宙の至高の統治者への反乱である。「隣人のものを羨んではいけない」のだ。
 彼らの高度な知力も気づかない一つの秘密があった。
(宇宙の秘密をすべて解明できる生物があるだろうか?人間も何も知らない幼稚園前の子供程度と言われる。何しろ重力が何であるかさえ分からないのだから)。
 スピルバーグの才能はその細部の描写(演出、演技も含めて)の真実味、リアリティにある。映画はすべて虚構、特にSFものは虚構そのものだから、細部の描写がいい加減だとアホ映画になる。最初からそのつもりで造ればいいが、真剣にアホ映画を造れば、それはアホ観客が感心する映画になるだけ。(ハリウッドの凄いところはアホもいるし、アホも必要だ、と知っていることかも?)
 スピルバーグは『プライベト・ライアン』以後は、これというほどの映画は作らなかった。ひょっとしたら『プライベト・ライアン』がアカデミー賞を取れなかったのに呆れて(『恋に落ちたシェークスピア』みたいな凡庸な作品が受賞したことは未だに謎だ)軽く作っていたみたい。しかし今度は久しぶりのスピルバーグだ。優れたデッサン力、壮麗な宇宙哲学、極限での人間の生き様、など充分にこなしている。
 しかし最大の功績は神に関する科学的解釈だろう。まるでジェラルド・シュロ−ダーの本を読んで映像化したみたいだ。いや、彼は現代科学の到達した点も充分に勉強しているに違いない。そうすればシュローダーにも接したはずだ。
 『神』は宇宙外知性であり、宇宙はその知性で創られ、支えられている。人間もエイリアンも例外はない。これこそ今の科学の取り組んでいる問題だ。『神』の知性は宇宙の隅々まで、エネルギー、素粒子、人間、巨大銀河の数々などの、万物を満たし、存在させている。万物は『神』の知性によって存在している。その詳細の一端を科学はまもなく明かすだろう。

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http://www.neshama.info/ (ネシャマー王国)
  http://www.geraldschroeder.com/ (シュローダー博士のHP)(英文)

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