ヘブライ語で「聖」は「カデッシュ」という。これは「離しておく、別にする、隔離する」が原義である。
 異邦人司祭のバラームは「それは離れて住む民だ」(民数記23・9)と言った。正確な捉え方だ。
 現代人の「聖」という感覚は「ほむべき、称えられるべきもの」というニューアンスがあるが、この感覚は「カデッシュ」にはない。
 「カデッシュの人」はむしろ現代の「変人、奇人、付き合いにくい人、一般と交わらない人」である。
 そして、こんな人たちから、とてつもない天才が出るのも確かだ。
 『神』がユダヤ人を選んだのも、彼らが特別に優れていたからではない。トーラを受け入れたのがユダヤ人であり「隔離」されたのである。
 この様に『神』と契約を結んだ人はネシャマーの活性化した人である。
 ネシャマーは『神』との会話を容易にするフォースだから。

 『神』を助ける見帰りとして、宇宙の基礎を形成している超越的単一性を発見し理解する能力が活性化する。ただし、これは契約の外にいる人にも与えられる力である。

 http://www.neshama.info/ (ネシャマー王国)
 http://www.geraldschroeder.com/ (シュローダー博士のHP)(英文)

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