「義」と「施し」は同じ意味である。ヘブライ語では「ツェダカー」。
 「義のゆえに迫害される人は幸いである」は「施しを求めて追い回される人は幸いだ」と訳せる。
 「『神』の国の義を求めよ」は「『神』が教えた施しの国を造るよう努めなさい」と訳せる。
 「十人の義人がいれば滅ぼさない」と『神』はアブラハムに言った。「義人」とは「施しをする人」と言える。
 ゆえにラムバンはソドムが滅びたのは、貧者、困窮者に無関心だったからだ、と解釈する。この解釈は前後の文脈とぴったり合う。

 現在のエルサレムに有名な乞食がいる。彼はノーベル賞を取るだろうと言われた俊才の学者だった。しかし大学をやめて、エルサレムの街角に立ち「ツェダカー」と叫ぶ。「義を行え。施しをせよ」と叫んでいるのだ。彼は一日のツェダカーの仕事を終えると夜は一流レストランで食事をし、豪華な庭付き家に母親と暮らして、読書にふけっている。誰も彼を非難しない。人々にツェダカーを行う機会を与えているからだ。

 http://www.neshama.info/ (ネシャマー王国)
 http://www.geraldschroeder.com/ (シュローダー博士のHP)(英文)
 

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