「『神』の国の義」あるいは「義のゆえに迫害される者」の「義」はツェダカーだが、この語は(1)義、正義(2)施し、慈善、の二つの意味がある。
 アブラハムが『神』にソドムを赦すようを乞うとき「五十人の正しい人(ツァディキ―ム)がいれば赦しますか?あなたは悪人と一緒に正しいもの(ツァディク)を殺すのですか」と尋ねる。
 この正しい人は「施しをする人」とも訳せる。
 しかしソドムは滅ぼされた。著名なラムバンという聖書学者は「ソドムの最大の罪は、同性愛ではなく、慈善を軽蔑し、貧者と困窮者を無視したこと」と説明している。これはツェダカーの意味から納得できる解釈だ。
 また「義(ツェダカー)のゆえに迫害される」は「施しを求められ追い回される」とも訳せる。
 『神』の義は『神』の正義と慈善(愛)である。

 ユダヤ教は義の『神』、キリスト教は愛の『神』、というのは、ヘブライ語に無知だったか、もしくはツェダカーに相当する語がギリシャ語やラテン語にないため二つの意味を別々に表現せざるをえなかったために生じた誤解ではないだろうか。もしくはユダヤ圧殺のための意図的なプロパガンダだったのではないか。

 これはネシャマーを混乱させ、世界に地獄を引き起こした。

 http://www.neshama.info/ (ネシャマー王国)
 http://www.geraldschroeder.com/ (シュローダー博士のHP)(英文)

コメント