宇宙の始まり(3)ビッグバンを何が引き起こしたか AT
2005年10月6日 量子力学によれば、宇宙の始まりに必ずしも『神』は必要ではない。量子の揺らぎが、無から何かを存在させたと考えられるからだ。
しかしこの考えには根本的な問題がある。
第一に量子の揺らぎは宇宙の自然法則と関連した現象である。しかし宇宙の始まる前には時間も空間も物質もなく、自然法則なるものもなかった。量子力学の法則もなかったのだ。
ところで、自然法則は、時を超えた永遠なもの、と想定しよう。存在しない宇宙のための法則がすでに存在したと考えるわけだ。何のために?意味がないではないか? 実は、自然法則は、もっと大きい何かの一部であある。これは聖書の告げることであり、我々は聖書に逆戻りするのである。
聖書は告げる。自然法則は時を超える永遠なものであり、永遠無限な『神』に包含されている。
自然法則は有限な宇宙に投影された永遠無限の『神』の特性の一部に過ぎない。例えば、時間は有限な物的宇宙に投影された永遠の影である。
しかし、自然法則の永遠性を受容しても、揺らぎ論には因果関係の問題が残る。原因があって結果がある。両者は時間で隔てられる。しかし時間は宇宙と共に始まったのだ。宇宙が始まる前には時間は存在しなかった。時間がないところに原因は存在しない。
この点では科学と神学は完全に意見が一致する。宇宙は、ある原因のが結果ではない。それは単に「ある」である。ジョン・マドクスはいみじくも述べた。
「それは確定も出来ないし議論すらできない原因の結果である」
この思想は目新しいものではない。1,000年以上も前に、タルムードやカバラーは同じことを言っているのだから。
(この項未完)
http://www.neshama.info/ (ネシャマー王国)
http://www.geraldschroeder.com/ (シュローダー博士のHP)(英文)
しかしこの考えには根本的な問題がある。
第一に量子の揺らぎは宇宙の自然法則と関連した現象である。しかし宇宙の始まる前には時間も空間も物質もなく、自然法則なるものもなかった。量子力学の法則もなかったのだ。
ところで、自然法則は、時を超えた永遠なもの、と想定しよう。存在しない宇宙のための法則がすでに存在したと考えるわけだ。何のために?意味がないではないか? 実は、自然法則は、もっと大きい何かの一部であある。これは聖書の告げることであり、我々は聖書に逆戻りするのである。
聖書は告げる。自然法則は時を超える永遠なものであり、永遠無限な『神』に包含されている。
自然法則は有限な宇宙に投影された永遠無限の『神』の特性の一部に過ぎない。例えば、時間は有限な物的宇宙に投影された永遠の影である。
しかし、自然法則の永遠性を受容しても、揺らぎ論には因果関係の問題が残る。原因があって結果がある。両者は時間で隔てられる。しかし時間は宇宙と共に始まったのだ。宇宙が始まる前には時間は存在しなかった。時間がないところに原因は存在しない。
この点では科学と神学は完全に意見が一致する。宇宙は、ある原因のが結果ではない。それは単に「ある」である。ジョン・マドクスはいみじくも述べた。
「それは確定も出来ないし議論すらできない原因の結果である」
この思想は目新しいものではない。1,000年以上も前に、タルムードやカバラーは同じことを言っているのだから。
(この項未完)
http://www.neshama.info/ (ネシャマー王国)
http://www.geraldschroeder.com/ (シュローダー博士のHP)(英文)
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