量子揺らぎ論には、まだ問題がある。何の中で揺らぐのか?空間も時間も物質もないのに?こんなものは宇宙存在前には存在しなかった。この点でも科学と神学は完全に意見の一致を見る。

 最後に量子真空揺らぎ論によれば、閉じられた宇宙が形成される。それはビッグバン以後すぐに崩壊する宇宙だ。

 宇宙の始まりの問題を解決する「世俗的」方法は、永遠無限の限りなく巨大宇宙の存在を想定することだ。巨大宇宙には無数の有限宇宙が、大海の泡のように現れては消える。その一つが我々の宇宙というわけだ。

 しかしこのような想定を実証する手段はない。自然法則によれば宇宙の外側(外側があればの話だが)を見るのは不可能である。巨大宇宙は実証不可能である。

 こうなると、永遠なる創造主の理論と無限の巨大宇宙の理論はどちらも、信じるか信じないかの問題になる。

 聖書(申命記四・三九)の主張によれば、どちらが正しい方向であるか知るのは可能である。我々は、この問題に関して、揺るがぬ証拠を通して知るのではなく「すべての合理的な疑惑を超えて」知る以外にない。

 どうすればよいのか。皮肉にもまたもや聖書は、自然の研究、科学の知識が必要であると告げるのである。

 科学は聖書に敵対するもののように思える。しかし科学を究めれば究めるほど、万物の彼方に輝く統一性がちらついてくのが見えてくる。科学を通して聖書が告げることは真実であることを知るに至る。

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 (注)申命記四・三九「ゆえに、この日、知るがよい。心に留めるがよい。上なる天においても下なる地においても、『永遠』(主)のみが『神』であることを。他にないことを」  

 http://www.neshama.info/ (ネシャマー王国)
 http://www.geraldschroeder.com/ (シュローダー博士のHP)(英文)

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