聖書はアダムの系譜の書、すなわち歴史書、である。

 アダムとは『神』がネシャマー(息吹)を吹きこんで造った人間である。

 すでに高等動物に進化した人間がたくさん出来ていたが、『神』は今から約5700年前にアダムを造った。そして彼をエデンの園に置いた。

 そして一つの許可と一つの禁令を与えた。「園のどの木の実も取って食べてよい」という許可と、「善悪を知る知識の木の実を取って食べてはいけない」という禁令である。

 『神』はアダムに自由意志を付与していたから、どちらを取るかは、アダムに任せた。

 ある日、外部の男がアダムとエバが全裸で性交しているのを見て欲情し、エバが欲しくなった。それで理論的にエバを追い詰めた。理路整然と、『神』の禁令が無意味である理由を説く男を見ているうちに、エバは心を許し、男を入れた。

 すると死の天使が自分に迫るのを見た。エバは「一人で死ぬのはいや。すべてに死を」と禁断の木の実をアダムにも、すべての生物にも食べさせた。

 アダムは『神』に従うか、エバに協力するか、迷ったが、身近にいるエバに従った。すると『神』は「おまえはどこにいるのか」とアダムに呼びかけた。

 『神』とアダムとの間のネシャマー回路が開いた。そしてアダムは『神』の声を聞いた。そして答えた。「園であなたの声が聞こえました。私は恐れ、隠れました。私は裸ですから」

 アダムを遮断していた保護膜が消えたのである。アダムとエバは剥き出しで下界に放り出された。

 しかしこのすべては『神』の計画であった。なぜなら、『神』は「すべての木から食べてよい」という許可と「一つの木から食べてはいけない」という禁令を与えてえいたのだから、アダムとエバは、許可を取り、禁令を無視したに過ぎない。

 アダムとエバは『神』の命令に背いてはいない。単に、どちらを選ぶか、選択の問題に過ぎなかったのだ。

 さらにアダムの選択によって、『神』はアダムと対話を始めることが出来たのである。アダムが禁令を守り続けたなら、対話もその後の『神』とアダム(人)との葛藤と協力はなかっただろう。

 『神』との対話は、一般の人が『神』への反逆だと信じていることに踏み出さない限り起らない。その後に真の『神』との協力が生まれるのだ。

 http://www.neshama.info/ (ネシャマー王国)
 http://www.geraldschroeder.com/ (シュローダー博士のHP)(英文)

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