シカトされる人は神が探し求めている人かもしれない。
 聖なる、とは、遮断される、シカトされる、が元来の意味ですから。

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 「『神』の国の義」あるいは「義のゆえに迫害される者」の「義」はツェダカーだが、この語は(1)義、正義(2)施し、慈善、の二つの意味がある。
 アブラハムが『神』にソドムを赦すようを乞うとき「五十人の正しい人(ツァディキ―ム)がいれば赦しますか?あなたは悪人と一緒に正しいもの(ツァディク)を殺すのですか」と尋ねる。
 この正しい人は「施しをする人」とも訳せる。
 しかしソドムは滅ぼされた。著名なラムバンという聖書学者は「ソドムの最大の罪は、同性愛ではなく、慈善を軽蔑し、貧者と困窮者を無視したこと」と説明している。これはツェダカーの意味から納得できる解釈だ。
 また「義(ツェダカー)のゆえに迫害される」は「施しを求められ追い回される」とも訳せる。
 『神』の義は『神』の正義と慈善(愛)である。

 ユダヤ教は義の『神』、キリスト教は愛の『神』、というのは、ヘブライ語に無知だったか、もしくはツェダカーに相当する語がギリシャ語やラテン語にないため二つの意味を別々に表現せざるをえなかったために生じた誤解ではないだろうか。もしくはユダヤ圧殺のための意図的なプロパガンダだったのではないか。

 これはネシャマーを混乱させ、世界に地獄を引き起こした。

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 カバラーは神秘主義だと思われているが、それは間違っている。
 カバラーは論理学だが非常に深遠な論理学なので、それを学ぶと神秘的体験するので、誤解を生むのである。
 カバラーは基本的に数学である。等式の一方には物質世界があり、反対側にはネシャマーの世界がある。一方が変化するとそれに応じて反対側も変化する。
 しかしカバラーは『神』の研究ではない。有限な存在である人間が無限を理解できると思うのは赦しがたい傲慢に過ぎない。
 カバラーは『無限』が有限な被造物とどのように反応し合うかの研究である。それは宇宙のネシャマー物理学と言える。
 この研究の基本的コンセプトは、一なる統一が全存在に浸透している、ということである。これが「『永遠』は一つ」(申命記六・四)の意味である。
 次のコンセプトはツィムツム(縮み)である。それは『永遠』が自らをを縮めてネシャマー存在の場を与えたという理論である。
 このツィムツムが、被造物の根源的統一性を覆い隠し、一定度の紆余曲折、よろめきを可能にしている。

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 ソドム崩壊後何千年が経った。
 日本軍は中国人の捕虜を焼き殺した。
 その二年後日本の町々に火の雨が降り、沢山の日本人が黒焦げになった。
 日本の指導者が降伏を拒んだからである。
 『永遠』が指導者の心を頑なにした。
 ネシャマーの五次元回路が切れた。
 彼らの知恵は幽閉され、何も見えなくなった。

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 MIT(ミシシッピ―工科大学)の学長チャールズ・ベストは1995年の年次報告で、なぜ重力が存在するか分からない、と述べている。
 重力はどこから発生し、どのように空間を伝わるのか分からない。
 人間には未知の次元を未知の源から発生し、万物をあるべき場所に位置付けているのだろう。
 創造主(宇宙外知性)は、神秘を数多く与えている。それを解く力はネシャマーとして人間にも付与されているのだが、日常の雑務に追われてネシャマーは眠っている。

 ユダヤ人が何千年も守ってきた安息日はこのネシャマーを呼び覚ます慣習として神が与えたものである。ユダヤ人に天才が多い一つの理由はこのネシャマー活性の安息日遵守である。

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生命出現の確率 AT

2005年8月31日
 オクスフォード大学の著名な数学者、ロジャー・ペンローズによると、ビッグバンの瞬間に、生命に適した環境を生み出すような諸条件とエネルギー配分に必要な精密度は10の10乗の123乗分の一以下である。
 この数を数えるだけで150億年以上かかる。
 このような可能性はゼロというのに等しい。

 先端を行く科学者ほど、宇宙外知性による方向付けを仮定したくなる。もしくは不可知論者の立場に立つ。

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 地球は不思議な位置にある。
 太陽系惑星は自然界のすべてが中心に向かってらせん状を描くときの法則に従っている。
 それぞれの惑星は太陽に近い隣の惑星の二倍の距離にある。
 水星は太陽から58(万キロ)、金星は110、地球は150、火星は230、小惑星帯は440、木星は780、土星は1430、天王星は2880、海王星と冥王星は、冥王星の異常軌道で秩序から外れている。

 すなわち地球は金星と火星の間に強引に割り込んでいる。
 この場所は太陽から遠過ぎず、近過ぎず、生命を育むに絶好の位置である。
 しかも地球は完全に近い円軌道を描いている。他の惑星のように楕円軌道を描けば酷寒と酷暑の繰り返しで高等生物は育ちにくいだろう。

 これはすべて偶然? それとも、宇宙プランナー、宇宙外知性みたいなものが、ビッグバンの最初からこうなるように仕組んだ?

 なぜ?? 誰にも分からない。
 
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 ソドムの町が崩壊したのち、ロトと二人の娘は天使に導かれて洞窟に避難した。
 娘達は「ここには男がいません。お父さんから種を貰い子供を作りましょう」と言って、父を泥酔させ、最初に姉が、次の夜は妹が父親と交わった。
 父親は全く覚えていなかったとあるが、実は姉が終えて起きあがるときには気づいていた。
 それで彼は翌日も泥酔のふりをして妹と交わった。

 ソドムの町は今から見ると悪徳にまみれ腐れきっていたようだが、男色も、近親相姦も、古代では気高いものとされていた。特に近親相姦は王侯貴族の特権とみなされていた。卑しい血が入るのを防ぐための手段とされていた。
 ロトもソドムの習慣にまみれ、性のことを悪とは感じなかった。
 近親相姦はほむべきことであるばかりか、近親者の交わりであるから、心の動きも一致し、肉体の感覚も似ていて、この上ない甘美な性の交わりを可能にした。
 一度味わうと抜けられない。それは蜜でべとべとのブラック・ホールである。
 だからこそ聖書は繰り返し、近親相姦、男色、獣姦など、性的逸脱をしつこく禁止する。
 「父母の元を離れ男女は一体となるべきだ」という聖書の言葉は核家族の薦めというよりも、父母と交わるな、兄弟と交わるな、という近親相姦の戒めである。
 近親相姦は人間の性交の底流として現代まで続いている。
 ネシャマーによらない限りこれを断つのは難しい。

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 アダム以、来世界はネシャマーvs反ネシャマ―の歴史である。
 ユダヤ人はネシャマーの本営である。
 二次大戦はこの本営を潰そうとするヒトラーと、親ユダヤ陣営の闘争だった。
 そしてヒトラー側は滅びた。『神』が親ユダヤ陣営の背後にいるからだ。
 そん後の冷戦も同様である。
 共産圏は崩壊した。
 『神』が反共産陣営の背後にいるからだ。

 反ユダヤ対親ユダヤの闘争はそれは今でも続いている。
 あなたはどちらの側に立つか。
 それであなたのネシャマー度は決まるかも。

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 キリスト教は天動説を唱えた。
 ユダヤの聖書(ヘブライ聖書)のどこにも地球が中心だと書いていない。
 
 キリスト教は惑星の軌道は完全円だと称した。
 ユダヤの聖書のどこにも惑星軌道は完全円だと書いていない。

 キリスト教は『神』は三位一体だと称した。
 キリスト教聖書にもユダヤの聖書にも『神』は三つとは書いていない。
 
 キリスト教はナチスに協力し、イエスはユダヤ人ではない、と称した。(例外者も沢山いたが)

 これほど多くの嘘を教えてきたのだから、今のキリスト教教義にも嘘があるかもしれない。

 キリスト教は万物の創造主を人類に教えるために『神』が存続を許した。しかし二つの大戦を通して、『神』はユダヤに戻るように示唆している。

 キリスト教徒の数は世界的に減少している。しかし創造主である『神』の存在を信じる人は増えている。

 キリスト教の賞味期限は終りに来ている。
 母なるユダヤに戻り結びつくべきだ。

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 「義」と「施し」は同じ意味である。ヘブライ語では「ツェダカー」。
 「義のゆえに迫害される人は幸いである」は「施しを求めて追い回される人は幸いだ」と訳せる。
 「『神』の国の義を求めよ」は「『神』が教えた施しの国を造るよう努めなさい」と訳せる。
 「十人の義人がいれば滅ぼさない」と『神』はアブラハムに言った。「義人」とは「施しをする人」と言える。
 ゆえにラムバンはソドムが滅びたのは、貧者、困窮者に無関心だったからだ、と解釈する。この解釈は前後の文脈とぴったり合う。

 現在のエルサレムに有名な乞食がいる。彼はノーベル賞を取るだろうと言われた俊才の学者だった。しかし大学をやめて、エルサレムの街角に立ち「ツェダカー」と叫ぶ。「義を行え。施しをせよ」と叫んでいるのだ。彼は一日のツェダカーの仕事を終えると夜は一流レストランで食事をし、豪華な庭付き家に母親と暮らして、読書にふけっている。誰も彼を非難しない。人々にツェダカーを行う機会を与えているからだ。

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 ロトの妻は、「塩を少し上げなさい」とロトが客人をもてなしたとき「あなたはそんな悪習をこの町に持ち込むつもりですか」と反対した。 そして近所に「うちにはお客が来ています。塩を少し分けてください」と言って、町中に客がいるのを知らせた。
 それは旅人、貧者、困窮者を顧みないソドムの町の慣習を守ろうとする行為であった。ロトの妻はソドム人の娘だったからである。
 こうしてソドムの人達は怒ってロトの家に押しかけた。

『神』は塩で罪犯した彼女をを塩で罰した。ソドムを気遣って振り向いた彼女は地と天の間に立つ死の天使を見た。そして塩の柱になった。
 彼女は復活の日まで塩の柱のままである。

 日本人も、中国人を焼き殺し、アメリか人を餓死させて、法に背いた。それで『神』は日本に硫黄と火を降らせた。
 自分のしたことを忘れたならばまた罰を受けるかもしれない。

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 原爆投下の前にポツダム宣言を受け入れ降伏したならば、悲劇はなかった。
 「残虐な武器を使用したのは許せない」と日本人は言ったが、自分たちの行った残虐行為には何も反省がない。
 アジア人に対して、また、アメリか人、オーストラリア人の捕虜に対して、アウシュビッツも顔負けの、身の毛のよだつ陰湿な残虐行為を日本人は行った。
 しかしそれを隠しつづけている。映画も新聞も、小説も、触れようとしない。教育の場でも教えない。
 これでは中国、韓国、北朝鮮、だけではなく、世界中が、密かに、日本人を軽蔑し、無視する原因となっている。同時に日本人の世界史を見つめる目も歪んでしまった。
 日本人は自分の罪を意識しないのか。
 原爆は『神』の怒りであることが分からないのか。
 ひたすら自分の犯した罪を神に許しを乞うべきではないか。
 それが分からずに、『神』が自分のエージェントとして使ったアメリカばかり責めるとは!
 痴呆ぶりここに極まれりとしか言いようがない。
 やはりネシャマーの薄い国民なのか。

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 神聖受胎のもう一つの解釈は、受胎出産に関するラビの意見を異教徒にも分かりやすくしたもの、ということだ。

 「『神』は言った。『私達は人(アダム)を造ろう』」(創世記1・26)で、なぜ「私達」と複数になっているのか。この問題へのラビの解答は主に次のようなものである。

 男と女と『神』のシェキナ(臨在)の三者を指す。また地(男女)と天の二者を指す。
 いずれにしても『神』の立会いがないと子供はできない、ということ。
 ルカ伝も「いと高き者の力が【その影で】あなたを覆うであろう」(33・35)とあり、『神』が彼女と交わるだろうとは書いていない。
 こうしてマリはアダムの子孫であることを示している。そして濃いネシャマー遺伝子が授与されたことが暗示されている。

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 「『姦淫するな』と言われている。しかし私は言う。ある女への欲情を抱きつつ、その女を見る者は、心の中ですでに彼女と交わって姦淫を犯したのである」(マタイ5・27〜28)

 「女」は他人の妻のことらしいが、いずれにせよ、これだと人類は子孫が出来ずに消滅する。

 このように現実に実行不可能なことを言ったのは、イエスのグループが終末が迫っていると信じていたからだろうか。または「姦淫するな」と言うトーラ(教え)に垣根を施したのかもしれない。「トーラ(教え)」に垣根をめぐらすのはユダヤの賢者の1手段だった。
 例えばベビーシッターが「子供が道路に飛び出さないように」と注意されると、ベビーシッターは子供に「前庭で遊んではいけません。裏庭で遊びなさい」と命令する。こうして余分な命令を加えて、道路飛び出しが起こりえないようにする。

 イエスの教えには「垣根をめぐらす」言葉が多いように見える。もしくはヘブライ文献にうといキリスト教学者が勝手に解釈を広げたものも多いようだ。
 源泉に立ち戻るべきだ。

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復活とは何か AT

2005年8月8日
 イエスの復活は異教徒に分かりやすくするための神話的語り口である。
 真の復活とは?
 宇宙を織り成す『神』の知恵の結び目の一つであることを知ることである。
 自分も結び目の一つとして一である宇宙につながっているという認識に達することである。
 この認識を助けるのがネシャマーである。

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 ヘブライ語で「聖」は「カデッシュ」という。これは「離しておく、別にする、隔離する」が原義である。
 異邦人司祭のバラームは「それは離れて住む民だ」(民数記23・9)と言った。正確な捉え方だ。
 現代人の「聖」という感覚は「ほむべき、称えられるべきもの」というニューアンスがあるが、この感覚は「カデッシュ」にはない。
 「カデッシュの人」はむしろ現代の「変人、奇人、付き合いにくい人、一般と交わらない人」である。
 そして、こんな人たちから、とてつもない天才が出るのも確かだ。
 『神』がユダヤ人を選んだのも、彼らが特別に優れていたからではない。トーラを受け入れたのがユダヤ人であり「隔離」されたのである。
 この様に『神』と契約を結んだ人はネシャマーの活性化した人である。
 ネシャマーは『神』との会話を容易にするフォースだから。

 『神』を助ける見帰りとして、宇宙の基礎を形成している超越的単一性を発見し理解する能力が活性化する。ただし、これは契約の外にいる人にも与えられる力である。

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 『神』は直接に自然界や人間のすることに手を出さない。
 ヒトラーの興隆も、破滅もすべて人間の選択と自由意志に任せた。
 しかしすべての背後に最終的に『神』のコントロールがある。
 「それは何か」を考えさせるのが、我らの中のネシャマーである。
 ヒトラーの暴虐を許したのは、おそらく、イエスが救世主ではないことを人類に教えるためだった。
 『神』はご自分の存在を広く知らせるためのメッセンジャーとしてイエスを選び、新しい契約を結んだ。
 その役割をイエスは果たした。しかし、人間は彼を人類の救い主であり、神様だと、勘違いし、ケプラー、コペルニクス、ニュートン、ダーウインなどを嘘つきだと呼んだ。しかし間違っていたのはキリスト教会だった。
 さらにクリスチャン同士が二度も世界を地獄の戦争に巻き込んだ。
 こんなことが重なると、誰もがイエスは本当に救い主なのか、メシアの時代は本当に来たのか、と疑い出す。
 『神』はこの疑いを起こさせ、『神』は自分のみであることを教えるために、あえて、ヒトラーを出現させたのこも知れない。
 神は自然現象と人の動きを通して自らの意図を現す。
 直接介入は天地創造のときに3回しただけで、その後はないことをあらためて、人類に教えたのではないだろうか。
 
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 マイケル・ベイ監督は『パール・ハーバー』『アルマゲドン』などで、期待を持たせながら、凡作を作って見せるという妙技の持ち主だが、今度はクローン人間で、少しは意味あるのかと思ったら、やっぱりだまされた!ホント、アイランドなんてないよ、と言いたいのはこちらの方だ。

 (これよりもネシャマー王国の方が面白いよ。)

 典型的なジェットコースター映画。それがお好みの人にはお勧めだが。
 このテーマ―、上手に作れば実に面白いのだが。残念!

 ネシャマー度 ゼロ  
 娯楽性 ★   
 ジェットコースター性 ★★★★
 無意味な喧騒と騒音度 ★★★★★プラス滅茶苦茶
 疲労度  ★★★★

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 「ロング・エンゲイジメント」は久しぶりの傑作。絶対お勧めの作。もう終わった映画だがビデオやDVDで、見ていない方にはお勧め。
「アメリ」を造ったジュネ監督と、トトゥのコンビが再び放つ秀作。ジョディー・フォスターが端役で出ているのにも驚いた。(彼女ほどの大物は作品を選ぶ?)

 悲惨な一次大戦の戦場と、愛を信じて求める女性の対象が見事なコントラストとなる。セピア色に収めた画面と感動のラストシーの天然色の画像も凄い。愛を描くと独壇場のフランス映画だが、この映画では今までの愛欲物語とは、一味違う鮮烈な愛の賛歌を歌い上げている。ただし画面の大部分は言いようもない地獄のシーン。しかしストには誰もが突き上げる感動を覚えるだろう。

 さらにこの映画は20世紀の戦争について考えさせる。若い人には二〇世紀の戦争は実際はこんなものだったと知るにも役立つ。この映画と「プライベト・ライアン」が戦争の実体を最も正確に伝えている。やはりヘミングウエイを思い出した。彼も一次大戦に参加したから。これを経験したのだから。

 それにしてもなぜ日本からこのようなドキュメンタリ的な優れた戦争映画が出ないのか。ヨーロッパもアメリかも本当の戦争はこうだよ,という名作を何本も出しているのに。何しろ「ラスト・エンペラー」(イタリー映画)で日本軍が中国人を虐殺する実写フィルムが入れていたのを、カットしないと上映しないといったのですから。臭いものには、都合の悪いものには、目をつぶる、これでは尊敬されないよね。

 でも二〇世紀型の戦争はベトナム戦争で終りだったな、と思う。一次大戦と二次大戦の間にすら変化があった。あるイギリス人は、無能な指揮官のおかげで一次大戦の方がひどかった、それで革命が起きて、二次大戦は有能な指揮官の下で、遥かに楽な戦争ができた(もちろん比較の上で)、と言ってました。秩序の崩壊と不条理の横行する地獄の中で、秩序と合理性、理性を保つのは難しいが、それを忘れると、日本やドイツのような、世界中から憎まれる破壊をもたらす。

 三次戦争が起これば四次大戦の武器は棍棒になるだろう、とはアインシュタインの言葉。核戦争が起これば文明は消え、生き残った少数の人間が棍棒と石で喧嘩するだろう。

 日本は平和時でも合理性が通りにくい国でいるから、自前の戦争をするとめちゃくちゃになる危険性をまだ秘めているのではないか。戦争の上手な英米のポチ(妾、愛人)でいる方が安全なので、日本人も戦後は本能的にそれを知っているような気がするのだけど・・・
 「進歩的文化人の主張(もしくは朝日新聞の主張)と逆を実行していれば日本は安全」という誰かの言葉は名言かも?

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