『インタープレーター』は、名作『ジャッカルの日』に似た乗りの映画。
 だがジンネマン監督の密度の高い造りには遥かに及ばない。
 この映画、決して下手ではないが、演出も役者も『ジャッカルの日』に比べると風格が違う。
 サスペンスもありきたり。映画の造りが煩雑過ぎ。もっと一つに絞って、最後にこの計画の奥深さを余韻として残せばよかったのに、と思う。
『ジャッカルの日』の最後のあの皮肉なユーモア―綿密な暗殺計画が想定外の一瞬の偶然の出来事で、すべておじゃんにするという、滑稽だが日常いつも起こる不可解。これは、ホントに偶然なのか、それとも背後に見えざる神の手が動いているのか?ふとそんなことを思わせたものだ。そして暗殺者の正体が死んだ後まで分からない。「あれは一体誰だったのか」と呟く捜査官。まさに悪魔?戦慄が走る。
 『ジャッカルの日』の話をしてしまったが、電気紙芝居全盛の時代にこれはないものねだりなのか?いやそうじゃない。今でも『ミリオン・ダラーベイビー』のようなのが出てくるんだから。もっとがんばれよ。低予算でもできるんだから。
      ネシャマー度 ゼロ   娯楽性 ★★

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 この映画、最初は一体何が起こったのか、と新しいホラーを期待させる。しかし最後は失速。なぜ?得体の知れない何者かが実験していたらしいが、その何者かが分からない。どこかの宇宙人らしい。
 宇宙人ならどんなことでも出来る。それは幽霊やお化けと同じで、現実に存在するのかしないのか、誰にも分からない。証明できないものだ。だからどんなに荒唐無稽な物語でも作れる。結果は迫力のない御伽噺だ。
 『リング』と同じでちっとも怖くない。これが怖いというのはお化け、幽霊を怖がる子供の精神状態に留まっている人といえるかも。
 本当のホラーを描いた名作がいくつもあった。『激突』『サイコ』『バード(鳥)』『エイリアン?』『戦火の彼方』『シンドラーのリスト』などなど。
 共通しているのは人間に潜む「闇」を描いていること。しかも普通の人間が落ちこむ底知れぬ深淵の闇を観客は知らされる。これが怖い。
 その最高傑作はスピルバーグの『激突』だろう。どこまでも追いかけてくるトレーラートラック。これがいろんなものに見えてくる。ナチス?悪魔?心の闇?狂人?しかもこの運転手、人助けをしたり、結構優しい。顔は最後まで見せない。ちらと見える腕もマッチョではなくほっそりと優男みたい。
 日常生活の傍に潜む異常性。これが恐怖なのだ。なぜか。光は闇から生まれ、秩序は混沌から生まれたからだ。光も秩序も、誕生時のぬめりとして、闇と混沌を引きずっているからだ。日常性は狂気の遺伝子を抱えている。
 「神は闇を創造し、光を形成した」。(イザヤ45・7)
 現代科学も同じことを示している。ビッグバンのブラックホールから宇宙の拡大と温度低下に伴い、光子が解放されて、光が現れた。
 最初に闇と混沌があり、それから光と秩序が生まれる。自然のままにしておけば、闇と混沌に戻るだけ。
      ネシャマー度 ゼロ 娯楽性 ★

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 モナリザはキリストの妻、マグダラのマリアの肖像だ、というレポート・ドキュメンタリーがビート・武の司会で復活祭の夜2時間放映された。
 これは面白かった。
 キリストはユダヤ人だから妻帯していた可能性は大きい。しかもその妻がもと娼婦だという可能性も大きい。預言者ホセアは淫行の女と結婚した。それも主が命じたことだ。
 あるユダヤのラビは「結婚しない、子供を造らない」というのは、殺人の罪に等しいと説いた。しかし彼自信が結婚していないので聴衆にその点を衝かれると、「私はトーラと結婚している」と弁明した。このエピソードは、ユダヤ人には結婚がいかに重要な義務かが分かる。
 キリスト〔=メシア(救い主)のギリシャ語訳〕は神ではない。だから結婚しても不思議はない。
 イエスとは何者だったのか。最近の研究ではファリサイ派の中の、清貧を重んじる一派だったとされる。また異教徒的要素の多いガリラヤ地区の宣教に派遣されたとされる。
 初期のキリスト教徒はみな自分をユダヤ人と思っていたから、イエス・キリストが人間で、妻帯し、子供がいても当たり前と思っていただろう。
 しかしギリシャ・ローマ圏に入って、イエスを礼拝する一種の偶像崇拝が起こると、イエスを永遠普遍の創造主と同一者にする必要性から彼を神によって生まれた子供(ヘラクレスのように!)とし、すべてがそれにふさわしいように仕上げられた。
 こうしてユダヤ人から一人のユダヤ人を切り離し、彼を殺した罪を着せて、ユダヤ人迫害が始まる。福音書=キリスト教聖典もすべてこの線に沿って仕上げられ、ついにホロコーストへの道のりを歩くことになる。
 これは神から見ると大変な罪であった。しかしこのすべても神が裏で仕組んだものともいえる。
 しかし一方で、神はダビンチ、アイザック・ニュートンなどを通し、イエスは人間であるという事実も伝え続けた。これも神の計画であるといえよう。
 この神の計画はルネッサンスから始まった点を見落としてはいけない。すでに古代中世は終わろうとしている。人間はそこまできた。もはやイエスという仲介者は要らなくなったのだ。
 ニュートンは3位一体を信じてなかった。しかし神の存在は論理的にありうると考えていた。
 しかし異教徒や、一般大衆にはやはり神話や偶像が必要だった。それで神はそれを残したのであろう。
 キリスト教はその点をよく考えないと二一世紀以後は空洞化、消滅の道をたどるだろう。
 すでにアメリかでシュローダー博士の本が量子物理、天文物理の分野でベストセラーになっているのは、その予兆を感じさせる。

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 神は最初に暗黒を創造した。また最初に混沌を創造した。
 神は暗黒から光を引き出した。混沌から秩序を引き出した。
 これは最新の物理学の証明することと一致する。
 神の作業に習わねばならない。
 性善説に侵されている日本人は、暗黒や混沌を見ようとしない。
 そのため脳天気な平和主義や、自由を混沌と取り違える悲劇が生まれる。

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 神聖受胎の話は神話であり、御伽噺である。
 事の発端はイザヤの預言の「若い女が男子を生む」をギリシャ語に訳した時「若い娘」が「処女」の意味を持っていたことにある。処女が子を産む!!!
 しかし古代ギリシャ・ローマの人は神話を通して実際に起こりうると信じていた。ローマの記録に、これを悪用してジュピター神を装った男が貴婦人をもてあそんだ例が記録されている。
 キリスト教はユダヤ人のイエスを神と同格とし、神がマリアを通して人になった、そしてそのときの父親は最高神であるとした。これはギリシャ・ローマの人に容易に受け入れられ、急速に広まった。
 神が人と交わって特別な子を生むという神話は似たようなものが世界中の神話にあり、これがキリスト教の拡大を容易にした。
 イエスの出産、受難、復活はヘラクレスを原型に作られたとするアメリカの比較神学者がいる。学問的検証を待たずとも、常人の知恵でも解けるいきさつである。
 しかし皮肉にも、古代中世にはキリスト教に引き入れるための有力な手段だった、これらの神話的部分が、今の科学時代には逆に足かせになって、キリスト教全体の空洞化、衰退、の原因となっている。キリスト教は衣替えをするか、でなければ、科学的説明と調和するユダヤ教の新しい形にとって代わられるだろう。
 しかしこのすべては創造主の計画の中にあったことを忘れてはいけない。創造主は自分の存在を知らせるため、また人類のネシャマーを活性化するため、キリスト教が神話を使うの許したが、役割が済めばそれは廃棄されるだろう。
 この点を憂えた科学者でありイエズス会神父であるティヤール・ド・シャルダンは新しい宇宙的キリストを説き、科学とキリスト教の融和を試みたが、バチカンは彼を追放した。彼の死後、復権されたが。 

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 特殊技術の麻薬に酔いしれたハリウッドは魂を失ったサーカスショウを競いあって、名監督といわれる人までがその流砂に足をすくわれ、ホームラン狙いの大ファウルを打ち上げるばかり。人間を深く掘り下げたアメリか映画の伝統を無くしたかと思っていた。しかしこの「ミリオン・ダラー・ベービー」ではその地下水流はしっかり流れていることを証明している。
 この作品は文句なしの万点。ネシャマー度★★★★★。そして芸術性も★★★★★。
 しかも小難しい映画ではない。大衆性も備えた、女性をも引きずり込ませ泣かせる映画だ。映画が終わって出てくる人の顔が皆、引き締まって良い顔になっている。
 誰もが人間の生きる意味を考え、生と死の現実に思いを致し、自分の人生もいろんな人生にも、人間とは所詮これだ、と納得し、何か満足して劇場から出てくる。
 感動はしばらく漂い、心の底に、何がしかの影響を与るかも。
 この感動は、生死を見つめる凄いリアリティに支えられれている。例えば、モーガン・フリーマンは定評ある名優だが、今まではいつも、人生を味わい尽くした癒しの父、というステレオタイプの役割で使われていた。しかしここでは、冴えない老後を日々送る一人の老人という顔を除かせながら、従来のフリーマンの味を失っていない。
 クリント・イーストウッドがカトリックの神父と交わす簡単な会話はこの映画に計り知れぬ深みを与えている。(『ゴッドファーザー』の荘厳な幼児受洗と問答無用の殺戮シーンを同時平行で映し出したあの名場面が映画の奥行きを思いきり広げたことを思い出して欲しい〉。
 神はクリントと神父のどちらに強く心を留めたか。クリントではないか。それは『ヨブ記』のヨブとその友達に似ている。あえて神に抗議するヨブと、形どおりの説教でヨブを責める友人たちと。
 エデンの園でアダムはあえて神に背いた。全智全能の神がアダムに禁断の木の実を食べさせたくなければ、できたはずだ。しかし神はアダムに自由意志を与えた。神の命にも背く自由が無ければ、アダムも禽獣に等しいからだ。アダムはその自由意志を行使した。ここで注目すべきは、アダムが神に背いた後に初めて神とアダムの会話が始まり、アダム一族と神の親密度は深まったことを創世記は示していることだ。
 この映画、見て損はしない、というよりも、見なければ損をする、そんな映画だ。見ない人は、高価な輝く宝石が安くて手に入るのに、気づかずに通りすぎてしまう人のようなものだ。

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 原罪とは人祖アダムが創造主に背いたので、人類はどうしても拭い切れぬ罪を受け継いだ、というもの。ところがユダヤには原罪という考えは全くない。なぜ?
 伝承によれば、トーラ〈モーセ五書=創世記から申命記までの五書、広義にはヘブライ聖書全部と、タルムードなど、ラビ文献を含めた総称〉を、創造主はすべての民族に示して受け取るかどうか尋ねたが、イスラエルの民以外はすべての民が拒否した。
 原罪感はこれら民族の祖がトーラを撥ねつけた失敗に対する自責感ともいえよう。
 もう一つ重要な点はアダムは人類の祖ではなく、創造主がネシャマー〈息吹〉を吹き込んだ最初の人間であり、このときからネシャマー人とそうでない人間が存在するようになった、ということだ。アダムは今から約5,700年前、創造されたが、当時はすでに多くの人間が存在していた。外見は彼らはアダムと見分けがつかないほどであったが、ネシャマーを内蔵しているかどうかが決定的な違いであった。
 創世記を精読すれば、アダム以外に人間が多くいたことは推測できるので、一流のキリスト教の聖書学者、神学者も、このことを認めている。ただそれはキリスト教の教義に反するので、公に発言できない。このことはジェラルド・シュローダーが直接キリスト教の学者たちと話した時に名前の公表を避けることを条件に心の内を明かしてくれたとのことである。一般的な知性にとっても納得できる解釈であろう。
 罪はヘブライ語で、ヘトという。この原義は、失敗、へまをやる、との意味である。失敗は繰り返さないように注意すればよい。だから日常の自分の行為をトーラに従って生きればよい。
 ただトーラを拒否した異教徒には、ユダヤ人のように指針を持たないので、その簡略版として、キリスト教を、創造主は与えたのである。

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 イスラエル初代首相ベングリオンは、アインシュタインとプリンストン大学で会った。
 二人が話したのはイスラエルの将来ではなかった。彼らは四時間にわたって、宇宙を一定方向に導く力の存在は科学的に証明できるか否か、であった。
 首相がアインシュタインとこんな話題に熱中するとは!
 まさにユダヤ人はネシャマーの力に満ち溢れた人々の集まりであろうか。

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さまようネシャマー

     不完全体

 女が立っていた。
「お金あげるから、私と寝ない?」
「え?本当?」

 女は男をシャワー室に連れ込み、裸にし、手錠をかけ、手錠を壁のフックに吊るした。男は、屠殺され解体された牛のようにぶらさがった。

 女は男を洗った。
 女は呟いていた。

 ――完全体の雄を献げなさい。王が受け入れるように。雄牛を王の前で屠ったら、血を献げなさい。それから皮を剥ぎ、解体し、火を焚き、火の上に薪を並べ、解体された部分を、頭も脂肪も、すべて火の上の薪の上に並べなさい。内臓とすねは、特別に水で洗いなさい。それから焼きつくして煙にしなさい。それは王を喜ばせる宥めの香りなのです……

「こんなところにあざがある」
 女は、水気を拭き取り、ベッドに引いて行き、手錠をベッド枠に括りつけ、両方の足首をストッキングで結び、その端をそれぞれベッドの柱に結んで、開脚状態にした。
「あんたは完全体でない。生け贄にできない。王様のご機嫌を損じるから。結局あんたも卑しい動物。期待していたけど。後は楽しく遊んでいればいいのよ。さあ、私を喜ばせて」
 女の目に黒い炎が燃えた。
「いいわ、いいわ、可愛いダビデちゃん」
 女は男にまたがり、蛇を呑みつくした。体をねじり、男の腹の上で両膝をそろえ、腰をねじり、目を閉じた。
「王子さま」

 女はベッドから離れた。
 二本のナイフとじょうごを持ってきた。ナイフを男の腹部両側すれすれに、マットに突き刺した。
「こぼすと、殺す」
 女はじょうごをくわえさせ、またがると放尿した。尿は男の口に入り、食道を通った。
「美味しかったと言いなさい」
「ああ」
「美味しかったと言いなさい」
「美味しかった」

 女はじょうごを外し、舌で尿を拭き取らせた。
「可愛そうに。あんたは闇をさまよい、こぼれたパン屑を拾って生きていく」

 女は金をはらって、消えた。

 ホテルを出た。雷がとどろき、稲妻が走り、街のシルエットを浮き彫りにして、闇に沈めた。

 水が一滴、男の額に落ちた。涙がにじんだ。
                            AT

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 永遠よ、天と地にあるすべてはあなたのもの。
 あなたはすべてのの上に頭として高くいます。
 富と栄えはあなたの前からきます。
 あなたはすべてを支配する方、
 勢いと力はあなたの手にあり、
 あなたの手で、すべてのものを偉大にし、強くされます。
 私たちの神よ、いま、私立ちはあなたに感謝を献げ、
 栄光あるあなたの名を賛美します。

 このように自ら進んで献げることができるからといって、私が一体何者だというのでしょう。また私の民が、何者だというのでしょう。
 まことに、すべてはあなたから出たものであり、あなたの手からいただいたものであり、あなたの手からいただいたものをお返しするにすぎません。

 私たちの先祖はみなそうであったように、私たちは御前では寄留者であり、滞在者に過ぎません。この世での私たちの生涯は影のようなもので、希望はありません。〔あなたに連ならない限りは〕

 神殿建設にあたってダビデの永遠讃歌〔歴代誌上29・10―15〕

 ダビデはネシャマーに満ちていた。永遠の創造主が存続させるのはネシャマーが満ちる人と民だけである。

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「クローサー」は気楽に見れる映画ではない。しかし重要なメッセージを送りこんでいる。これは日本人の無邪気な(幼稚で、事実を見るのを嫌がる)人間観を、刺し貫く映画だ。
 秘密は墓場まで持っていけ。嘘は死ぬまで吐き続けよ。所詮、人間は真実に耐えうる存在ではない。日々、嘘と秘密の上に橋を架け合いながら、暮らしていけるだけ。
 そう、これは相当に、タナハ(聖書)的な映画だ。それらしい言葉は一言も出ない。出るのは、露骨で、どぎつい、性的表現ばかり。それでも、この映画の作者は、人間世界が、非完全に出来ていることを熟知している。
 「不完全」ではない。「非完全」なのだ。
 「不完全」は完全な世界がどこかに、または未来に存在していて、今はまだ到着していない、というニューアンスがある。
 「非完全」とは人間は「完全」から完全にシャットアウトされて、あがいても、待ち望んでも、完全な社会は、存在しない、来ることもない、という認識を示す。
 実に大人の認識で、すべてを見、聞き、味わい尽くした、文明の人間観、世界観だ。このような人は現実を見るのを怖がらない。死、破滅、終末を、見えない、そんなの存在しない、と目をそらすことはない。
 この映画はそんな「非完全」世界の不条理を知りながら、生きる四人の男女を見事に描く。この密度はおそらく舞台劇を映画にしたからだろうか?
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 この映画のネシャマー度は ★★★

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「キングダム・オブ・ヘブン」はリドリ・スコット監督の作。映像感覚は「エイリアン?」「グラディエーター」などと同じように抜群。でもただのスペクタクル巨編。
 キリスト教徒とイスラム教徒がエルサレムを自分の聖地として奪い合い、殺し合い、奪略し合っている光景を眺めながあら、この都市の建設者・所有者でありながら西暦70年後、世界をさまよっていた聖なる民ユダヤ人=イスラエルの民が何をしているかが頭を離れなかった。
 彼らは神と結んだ契約を、世界の隅々で密かに実行し続けていた。愛し合い、法の下にすべてが平等、の共同生活を実践していた。そしてそれゆえ、惨殺され、迫害されていた。スコット監督にはこれが見えないのだろうか?
 彼はラストで、「それから千年経ったが、天の王国の理想はまだ実現していない」と語る。
 スコット監督に告げたい。それはもう六千年前に地上の一角に実現し、三千五百年前に確立した。そして現在まで継続している、と。しかしあなた達が認めようとしないだけだ。あなた達が歪めて伝えただけだ。さらに奪われた地は今や本来の所有者の手に戻され、預言は成就された。しかしそれも無視しているだけだ、と。
 キリスト教とイスラム教はユダヤの貴重な精神的宝物を持ち逃げしたが、両者とも、それを歪め、悪用し、大失敗を繰り返した。それにもかかわらず依然として、イスラエルの民、神の民を抹殺しようとしている。
 まさにイスラエルの民の一人、ボブ・ディランの歌うように「一体、人はいつになったら分かるのだろう?」である。「答えは、友よ、風(ルアッハ・創造主)の中に吹いている」。
 二十世紀はどんな時代だったか?前半は二つの大戦、後半は人類存亡を賭けた冷戦。そして常に独裁者の側が倒されてきた。これを見ただけでも歴史をコントロールしている存在が何を望んでいるか分かるというもの。二一世紀でもこの方向付けは変わらないだろう。これが見えない者は何かで物事の真の姿が見えなくなっているとしかいえない。

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この映画のネシャマードは ★

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「風に吹かれて」の「風」は「ルアッハ(創造主の風)」のこと。「答えは、友よ、風の中に吹いている」は「答えは創造主の言葉の中にあり、万人に吹いている。しかし人は気づかない」という意味だ。
 彼は「バビロンの水のほとりで」も歌っている。これは詩篇から取ったもの。

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 アダムはネシャマー人の始祖である。ネシャマー王国の祖である。
 アダムの出現でタナハ(ヘブライ聖書)の記述は宇宙時間から地球時間に切り替わる。創世記の六日は相対性理論によると約150億年に相当する。六日は宇宙時間による計測である。150億年は地球時間による計測である。アダムは六日目の終りに創られた。我々ネシャマー人は今、宇宙時間の第七日にいる。
 アダム(ネシャマー人〕は男女ペアで造られた。永遠なる創造主は何物も単独では造らなかった。単独で造られたものは創造主と誤解されるからである。
 第二アダム創造物語はこのいきさつを語る。「人が一人でいるのよくない」と。なぜならアダム(人)が創造主と誤解されるからである。
 アダムからエバが造られたというのは、人は元来、男女の要素を併せ持つことを示す。ここから混交が生じていた。アダム以後、ネシャマー人は、同性性交、親族性交、は禁止され、男女が交わるのが正道となった。
 アダム以後、縦横に織り成された生命(ネフェシュ)の布に新しい要素が入った。それは折り目の結節点に新しい光輝を与え、その結節点(一人一人のネシャマー人)は、自分の光輝を前後左右に伝え、布全体新しい光輝点が拡大させる。それがネシャマー人の宇宙的役割である。

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 アダムは地球時間約6,000年前に創られた。古代文明の栄えたころ、オリエントのどこかで、宇宙の創造主は多くの人間から一人を取って、土で造りなおし、ネシャマー(息吹)を吹き込んだ。そしてアダム(人)は文字を持ち、創造主と五次元回路を通して通じ合えるようになった。
 創造主はネシャマーの受け皿を、おそらく、アダムの脳のどこかに潜ませた。人間はまだこの場所を確定できない。しかしそれは遺伝によって子供に伝えられる。これを世界の民は実態を知らないまま「魂」と呼ぶようになった。
「魂」は人間が死んで肉体が崩壊すると滅びる。しかしネシャマーは創造主に戻される。

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 タナハは道徳書ではない。物理学者も知らない真実が啓示されている。宇宙の説明書である。
 ネシャマーの活性化した者はそのいくつかを読み解く。キリスト教徒、特にユダヤ人に天才が多いのは、タナハで幼時に教育されるからだ。アインシュタインがユダヤ人であるのは偶然ではない。
 ノーベル賞を取りたい者は自然科学とタナハを学び、ネシャマーを活性化せよ。

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 金儲けのためのスローガンと掟と処罰。これが絶対化されると理性が崩壊し、地獄が出現する。
 百名以上の生け贄を生きたまま犠牲にさせた、この虚神の虚偽に目覚めるべきだ。
 だからネシャマーは【永遠】の声を聞いたではないか。「他の神々があなたのためにわたしの面前にあってはならない」(出エジプト記20・3)と。「わたし」とは【永遠】であり、ネシャマー(息吹)を与えたものであり、宇宙を創り、秩序を造ったものである。

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 神は世界中の民にトーラを受けるか受けないかと問い続けている。世の始めから今に至るまで。
 イタリー人に「受け取るか」と尋ねると、「何と書いてあるのか」と言った。「殺すなかれ」と書いていると神は答えた。イタリー人は「受け取れない」と答えた。
 フランス人に「受け取るか」と尋ねると、「何と書いてあるのか」と言った。「姦淫するな」と書いていると言うと、フランス人は「そんなもの受け取れるはずないジャン」と答えた。
 日本人に示すと「そこに何と書いてあるのか」と尋ねた。「自分のために像を作るな。七日目は仕事をするな」と書いてあると言うと「物造りもだめ。七日目は休め。じゃ何をすればいいのだ」と答えた。
 こうして永遠との連絡回路は閉ざされる。

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 1989年3月23日、地球は何事もなかった。しかし僅か六時間の差で巨大隕石が時速72,000マイルの速度で地球軌道を正確に横切ったのである。もし衝突していたら二万一メガトンの水爆と同じエネルギーが一大陸を全滅させたであろう。
 直径一キロ十億トンののこの星屑は五百億年間太陽系の中をを周回していたのだ。五百億年の中のわずか6時間のすれちがいは七兆分の一の精密度を必要とする。
 これは偶然の幸運か?神の意志が働いたのか。誰かの祈りが通じたのか?
 6,500万年前地球を直撃した直系10キロの隕石は恐竜を絶滅させ、哺乳類へ、人間へ道を開いた。
 それは偶然の幸運か?それとも神の手による進化の微調整だったのか? すべては偶然なのか?見ざる手が、自然法則の裏で働いているのか?

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 私達の住む世界は4次元(3次元+時間)である。
 第五次元はヘブライ聖書に示された神の次元である。それは神との通路として使われる。
 しかし未知の次元はさらに21次元ある。ヘブライ語の聖4文字YHVHの数価は26であるから。
 重力、電磁力、弱い力、強い力、など、宇宙万物を保つ力のは何で、どこから来るのか、誰にも分からない。そのような力はこの未知の次元のどれかから来るのであろう。「ひも理論」の物理学者も同じような説を立てている。

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